統一教会に反対する勢力







統一教会ほど、誤解されている所はないだろう。しかし、統一教会
で教えている内容こそ、危機に瀕した日本を救うものであることを
確信する立場から考えれば、これは不思議なことであり、日本にと
ってどれだけ損失であろうかとも思うのである。大げさだと言われ
そうだが、“もし”罪悪の根本を明らかにし、人間の価値と家庭の
価値を宇宙的価値まで引き上げてやまない統一原理の内容が、スム
ーズにこの国に受け入れられていたなら、このように日本が精神的
に荒れ果てる必要はなかったに違いないと無念に思うのである。

そして、“もし”文鮮明先生が、世界の歴史が切望してきたキリス
トの再臨なる人物だったとしたら、この国この民族は将来どのよう
な咎を受けることになるのか?そう、思うだけで苦しく気分が悪い。

特に、無責任なマスコミや左翼系の人々、そしてキリスト教牧師な
どは、最初から文鮮明先生が再臨のメシヤである可能性を完璧に否
定し、決めつけている。そのためには、今までマスコミなどを総動
員してどれだけ血まなこになってきたことであろう。そこには、人
権もなにもない。普段は人権の獲得のために闘っているはずの左翼
弁護士たちが、マスコミという凶器を振り回して統一教会の信仰と
人権を完膚無きまで抹殺しようと頑張ってきたのである。

そもそも、信仰の自由とは、幾多の宗教同士が自らこそ真理と確信
しつつも、お互いの教義や主張の正しい可能性を尊重し認め合うこ
とが、土台となっているのである。したがって、統一教会の教義の
「正当性」や、文鮮明先生が再臨のメシヤである「可能性」も尊重
されるべきは言うまでもない。(むろん、毒ガスをまくような教義
は論外である。)

そういうと、反対活動する人々は「統一教会は反社会的団体」だか
らと言うだろう。それでは、「反社会的団体」とはなにか?そして
それはどの程度のことを言うのか?この数年日本弁護士会で悪徳弁
護士が何人も出てきたが、日本弁護士会は反社会的なのか?はたま
た、たび重なる全国的警察の不祥事と犯罪をもって、警察を「反社
会的団体」と言うのか?これはものすごく曖昧な言葉であることは
言うまでもないのである。この曖昧な言葉を振りかざして、公共の
電波で「レッテル」を張る作業をどれだけしてきたことか?

私は、それが恐ろしいことだと思うのだ。彼らの心が悲しく恐ろし
く悪魔的だとさえ思うのだ。統一教会の信仰と人権はやがて歴史が
同情するようになるだろう。あとにも触れるが、その左翼系弁護士、
ジャーナリスト、そしてキリスト教牧師らの扇動によって、今日ま
で、4000人!!もの統一教会の人々が拉致・拘束され、それぞ
れ何十日も監禁されて艱難を受けてきた事実(きょうも救出を求め
て命がけで脱出をせんとする人が何人もいるのだ)は、彼らの悪魔
性を立証するものであり、必ず歴史の前にはっきりと裁かれなけれ
ばならないと思う。悪をごまかし、隠し続けることは絶対にできな
いというのが歴史の示すところである。

それでは何故、ここまで統一教会に反対するのか?それは、反対活
動する二大勢力であるキリスト教と左翼にとって、統一原理がどれ
だけじゃまになっているかを理解すれば分かる。

キリスト教の教義の中心は、キリストの再臨である。2000年前、
イエス・キリストが十字架に死す前に、「もう一度来る」ことを約
束したのを、唯一の希望としてどんな艱難辛苦も乗り越えてきたの
である。キリスト教では、キリストは雲にのって現れ、信仰ある人
は空中に引き上げられ再臨主に会うと信じられている。終末には、
星が天から落ち、キリストを信じない人は火で焼かれ、墓から大勢
の死人がよみがえってくるとかたく信じられている。その他にも、
枚挙のいとまがない。

ところが、統一教会の統一原理だけは、違うことを主張して現れた
のだ。統一原理では、雲にのって現れるのも、墓から何千年も前に
土となった人々がよみがえるのも非科学的であり得ないことだとす
るのである。聖書の多くの部分が比喩や象徴であると主張し、それ
が何を意味しているかを論理的に判明させていく。読者は、どちら
に真理を予想されるか?……もしかしたら、勝負は明らかなのだ。
明らかすぎるから、これ(統一原理)を世の人々に知らせてはなら
ないと牧師たちは必死なのだ。あらゆる問題をつつき、問題を大き
く大きくして、社会悪という「レッテル」を張ろうと本能のままに
活動してきたのだ。本分の伝道を忘れて拉致・監禁活動に忙しい様
子は嘆かわしい。

可愛そうなのは、不安をあおりそそのかされた親たちだ。30代4
0代の息子・娘までも力ずくで拘束し、監禁場所で何ヶ月でも信仰
を捨てることを強要していくのだ。すべてを立案・計画した牧師が
密室で洗脳していく。正に洗脳である。恐ろしい。(日本全国にこ
のような牧師が数十人いる。これを読んで反論できる牧師は一人も
いないだろう。事実そのものだからだ。この「犯罪」は宗教歴史上
永遠に消えない汚点となって後世を苦しめるだろう。)

これは、どんなに大きな罪だろうと思う。。どんなに、かばおうと
してもかばいきれない。一人の生涯(永遠)の信仰を強制して奪う
ことだけでも恐ろしい罪だが、祝福結婚を侵すことによって、生ま
れて来るであろう祝福子女の生命と人生を奪い葬ったことにもなる
かもしれないのである。ああ、恐ろしい。私にはこんな恐ろしいこ
とはできない。統一教会を信じる人は、本心があるのでこんな悪業
は絶対にできないだろう。これができる人はどんな人だろう。繰り
返し監禁をし続ける数十人の牧師たちはどんな教義を学んで来たの
だろう。天国でイエス様がよくやったと誉めて下さるというのか。
それとも、「お前たちを私は知らない。審判をうけよ!」とおっし
ゃるか。祈れば分かるであろう。悔い改めて今からでも罪を償う道
を行くよう愛をこめて警告する。